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      <title>あの街この街</title>
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      <description>いろんな街</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>誤った自己イメージの形成　2</title>
         <description>
ある子どもは姿勢が悪く、食事の際、つい肘をついてしまいます。


親の多くは、「肘をつかないように」と注意します。


・・・これは当たり前です。


しかし、ある父親は厳しくしかり、そのたびに「そんな食べ方をするのは人間じゃない」といいます。


そう言われ続けた子どもは、どのような自己イメージをいだくでしょうか？


想像に難くないですね。


「人間じゃない」という自己イメージをいだいた子どもは、どんなに長所があっても、いつもそれを否定する言葉を自分に向けて発しなければなりません。


いささか持ってまわった言い方になってしまいましたが・・・


日常的には私たちがよく耳にする言葉になって発せられます。


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         <pubDate>Fri, 10 Feb 2012 19:05:54 +0900</pubDate>
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         <title>誤った自己イメージの形成</title>
         <description>
最も一般的にいわれるのは、重要な他者によってそのようなイメージが形成されるということです。


つまり、自己イメージの最初は幼児にとっての重要な他者(多くは母親、時には父親など)によって注入されるということです。


・・・そして、そのイメージが一方的で誤っていれば、幼児は、まずそのイメージから出発しなければなりません。


「(親に)望まれないで生まれた子ども」という言葉があります。


・・・そのような場合には、親は子どもに対して否定的な評価を重ねがちでしょう。


その結果、子ども自身が否定的な自己イメージをいだきがちであると、考えられます。


子どもの個性が親にとって受け入れにくいものである場合にも、似たようなことが起こるのです。

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         <pubDate>Tue, 10 Jan 2012 19:05:21 +0900</pubDate>
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         <title>自己イメージについて</title>
         <description>
自己イメージが頑固で、呪縛的ともいえるようなレベルにまで育っていると、逆の現象が生じます。


つまり自己イメージを維持しようとする力の方が優勢になり・・・


実際に良い成績を得ることができたという事実を、認めまいとするようになります。


・・・その結果、事実を認めることができず、不安になったり、自己イメージを脅かすそのような経験をしそうな場面を避けるようになったりします。


傍目には、何かビクビクして見えたり、できるのにやろうとしないと見えたりします。


多少オーバーにいえば、神経症的状態です。


自分を正しく理解したり、事実によって自己イメージを修正したりすることができなければ、正しく表現することは不可能です。


では次に、誤った自己イメージの形成について考えていきたいと思います。


頑固な誤った自己イメージは、いかにして形成されるのでしょうか。

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         <pubDate>Wed, 07 Dec 2011 19:04:26 +0900</pubDate>
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         <title>日本の鉄鋼業</title>
         <description><![CDATA[
第ニ次世界大戦までの日本では、鉄鋼業が軍需に支えられて発展したことは疑いないところです。


・・・しかし戦後における事情はやや違っています。


世界を驚かせた日本経済全体の拡大は、当然、膨大な設備を必要とし、これに伴う<a href="http://www.naldic.co.jp/" target="_blank">ロートアイアン</a>・機械・建築・造船・鉄道・発電・化学・・・


それに鉄鋼業自身に、大量の鉄鋼が使用されました。


さらに重要なことは、一般に耐久消費財と呼ばれる方面への需要です。


自動車をはじめ、電気洗濯機や電気冷蔵庫などを代表とする各種の家庭用品の普及が、いずれも主として鉄を材料とすることを思い起こせば、これもまた大量の鉄鋼を消費していることがうなずけるでしょう。


・・・このようにして急速にのびた鉄鋼生産は、予想を大幅に上回るものであったのです。



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         <pubDate>Mon, 05 Dec 2011 16:30:22 +0900</pubDate>
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         <title>正しく表現するということ</title>
         <description>
正しく表現するということ、その前提自分を正しく表現することは意外にむずかしいものです。


まず、正しく表現するためには、自分を正しく知っている必要があります。


「自分のことは自分が一番よくわかっている」とは、私たちが日常生活でよく使う言い回しです。


・・・しかし、自己イメージと、他人が自分を見たイメージは異なっていることがあります。


たとえば、「自分はスポーツが苦手だ」と思っている人は、運動会で一等賞になっても、まったく偶然の出来事と思ったり・・・


ほかの人が調子が悪かったためだと思ったりすることがあります。


心理学的には原因帰属の問題です。


多くの場合、もし類似の経験(この場合はスポーツで良い成績を得る)を重ね惹ことがあれば、「スポーツが苦手だ」という自己イメージはしだいに修正され「まんざらでもないな」というふうになります。

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         <pubDate>Fri, 11 Nov 2011 19:03:53 +0900</pubDate>
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         <title>社会性が育つための条件</title>
         <description>
アサーション・トレーニングの立場では、真の協調性は相互に尊重しあう民主的な交流にあります。


つまり、見せかけの仲の良さとは区別されるのです。


社会性を他者との協調的関係ととらえた場合、社会性とは自己と他者とが相互に生かし合いながら生活する能力といえないでしょうか。


・・・そう考えると、社会性が育つための重要な前提条件がおのずと浮かんできます。


それは自分を十分に、そして正しく表現することと、他者を正しく理解することです。


その前提のもとに、実りある相互交流が可能になるのです。


では、正しく表現するということ、その前提について考えていきましょう。


自分を正しく表現することは意外にむずかしいものです。

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         <pubDate>Sun, 09 Oct 2011 19:02:51 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>ニュースが伝えない事実　２</title>
         <description>学校へ子供を通わせている親として、国民の一人として、教科書の実態をどうみるべきか、考えるまでもないであろう。

ガラス張りの教科書採択が行われなければならないし、その供給ルートもまた、誰が見ても納得のゆく形(社会通念や国民感情を尊重したもの)、みんなが便利で不公平でない形というものを作っていかなければならないのではなかろうか。

にもかかわらず、それが全く無視されている。

実際、放っておくとなにが起るかわからないのが教科書業界である。

しかもそれは、補助教材にまで及んでいる。


なんというか、この辺はあまり時代が進んでも変わっていなそうな感じですね。</description>
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         <pubDate>Wed, 21 Sep 2011 12:41:06 +0900</pubDate>
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         <title>猫に関するいろいろな俗信</title>
         <description><![CDATA[
猫が耳のうしろまで前脚をあげて化粧すると翌日は雨・・・。


この俗信も、もとは中国から持ちこんだのでしょう。


『酉陽雑姐』に


「俗言ウ、猫面ヲ洗イテ耳ヲ過グレバ客至ル」


・・・などとあり、これは雨の前兆としないで、来客の前兆としています。


日本では猫を殺すと子孫七代にたたるといって、気味のわるい動物としての定評があり、また猫が死人の枕もとをあるくと死人が立ち上がるなどとも言っていました。


朝鮮にも同様の俗信があって、オンドルの下に猫が入ると死人が立ち上がるといって、オンドルの煙出しに栓をしたり、死者のある家では猫を縛ったりします。


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]]></description>
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         <pubDate>Thu, 01 Sep 2011 12:42:20 +0900</pubDate>
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         <title>ニュースが伝えない事実　１</title>
         <description>ニュースや週刊誌が伝えないというか、伝えられないような話です。


信じられないような話だし、県定教科書といわれるようになった時代に、こういうやり方がどの程度、通用するものかわからない。

あるいは、このような買収工作で県定教科書時代の幕が開いたのであろうか。

ともあれ、これが実態であるとすれば、教科書の供給ルートには、下手に新規参入を認めるわけにいかない理由が生じているともいえるだろう。

ごく内輪の者だけしか、その真相に近づけない配慮がなされているのだろう。

実情を知る者は数少ない方がいいのだ。

教科書の販売競争が如何に熾烈なものか、この告発は代表して、まざまざとみせつけてくれる。</description>
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         <pubDate>Sun, 21 Aug 2011 12:40:34 +0900</pubDate>
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         <title>外国人の介護福祉士さん頑張って！！</title>
         <description>外国人の介護福祉士がたくさん誕生する日は近いでしょう。
介護福祉士（介護ヘルパー）は人材不足が深刻です。
外国の人たちが介護福祉士になってくれたら、日本人はとても助かります。

先日、インドネシアとフィリピンから、介護福祉士の候補者が来日しました。
経済連携協定（EPA）に基づく来日です。

彼らが気持ちよく介護福祉士の技術を身につけ、現場で働けるように国をあげてバックアップしなければなりません。
そうしないと、介護福祉士がまったく足りず、高齢者がのたれ死ぬ事態が起きるでしょう。（笑）

まあ、そうならない為にも来てくれているようなものですが・・・。
次回はもっと深ーく掘り下げてみたいと思います！</description>
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         <pubDate>Thu, 21 Jul 2011 12:40:04 +0900</pubDate>
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         <title>下ごしらえの差で健康に</title>
         <description><![CDATA[生のまま食べたいトマトやキュウリは、洗って冷蔵庫に入れておくだけでも違います。

塩やマヨネーズをちょつとつければOK。

ちなみにトマト2/1個が100g、キュウリ2/1本が50gくらいなので、これで計150gの野菜が摂取できることに。

一歩進めて、生野菜サラダになりそうなものを洗って切って、例えば、レタスやキュウリのほか、スライスオニオン、千切りキャベツなどもまとめて容器に。

底にキッチンペーパーを敷いておくと水気が切れていい具合です。

ぜひ<a href="http://napure.jp/" target="_blank">モリンガ</a>のようなサプリ以外にも、積極的に野菜を取りたいところです。

特に夏場は暑いので、冷たいサラダを食べると気分もしゃっきりしますよ！]]></description>
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         <pubDate>Mon, 18 Jul 2011 18:36:14 +0900</pubDate>
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         <title>盆栽の歴史４</title>
         <description><![CDATA[また近縁の針葉樹、マツ、スギなどからも変りものがとりだされていて、全体として一つ顕著な栽培変異樹木の一群をつくっているが、全体を統括する適当な呼び名はない。

こうしたものは旧来の植木屋の独壇場のようなもので、最近には一般的には強い関心は払われなくなってきている。

しかし旧家の庭、寺院の庭などをみると、こうした木が数本みられることは普通であるので、注意すれば古い庭では案外多くみることができる。

これらの樹木は原種より生長力が弱く、造園に用いると成長しすぎることがなく、勇定を加えてやると、狭い日本庭園にはよく適合している。

いまの日本ではいわば流行おくれのような庭木となっているが、<a href="http://www.rakuten.co.jp/auc-e-seedlings/" target="_blank">野菜 種</a>以外の花卉園芸文化としてみると、これはたいへん独創的な庭木品種群である。

これはどうやら中国ではほとんど生まれなかったもので、日本の江戸期の類例のない園芸文化の発達のよい一例となるものである。]]></description>
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         <pubDate>Tue, 21 Jun 2011 12:39:29 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>女性たちのやること</title>
         <description><![CDATA[ジャーナリズムあるいは雑誌というのは面白おかしくというのが大事な役目のひとつ。


家具を持ち上げてみたり、ステンレスがいいといってみたり、<a href="http://www.x-make.com/" target="_blank">クロス張替え</a>は全部の部屋、そのときどきの話題をファッショナブルにいうだけの話ですから、住宅が取り上げられたとしても結局はファッションでしかない。


ファッションでしかないものというのはやはり教養にはならない。


教養にならないから、一応、日本ではとりあえずの知識として身につけて、それから家を考え始める。


これが女性たちのやることです。

]]></description>
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         <pubDate>Sat, 21 May 2011 13:49:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>盆栽の歴史３</title>
         <description><![CDATA[日本では自然美盆栽のつぎに、最近になって小物盆栽の流行がおこった。

これは湯呑み茶碗くらいの小鉢に植えた「鉢の木」といってよいだろう。

これは戦後の住宅事情によく適合し、狭い庭、屋上の物干し場、ベランダでも多数の鉢を収容でき、安価に楽しむことができる。

もちろん<a href="http://www.rakuten.ne.jp/gold/auc-e-seedlings/pentakeep/pentakeepsyoukai.html" target="_blank">ペンタキープ</a>があるとさらにいいかもしれない。

この流行はすぐさま欧米にも伝播しており、私はヨーロッパで思いがけない人から、小物盆栽について話をもちかけられている。

日本にはもう一つ、庭植えの盆栽樹ともいうべき特殊な針葉樹、落葉樹などの品種群が、たぶん江戸中期から発達してきている。

その代表的なものは、植木屋のいう「ヒバ」の類である。

主力になったのはヒノキとサワラの枝変りを挿し木繁殖したものである。

チャボヒバ、クジャクヒバ、シノブバヒバ、スイリュウヒバなどよく知られ、それぞれに斑入りがある。]]></description>
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         <pubDate>Sat, 21 May 2011 12:38:53 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>盆栽の歴史２</title>
         <description><![CDATA[その時の盆栽の印象ははなはだ不評であった。

「中国の植木屋の頭の中にある主たる考えは、<a href="http://www.rakuten.co.jp/auc-e-seedlings/" target="_blank">花 種</a>よりも美しく豊かであるすべての点で自然に挑戦し、無残にも、不健康に、ねぢ曲げて、本性をゆがめることである」(岩佐亮二茸盆栽文化史』八坂書房)と彼は述べている。

それはたぶん極端な蛸造り型盆栽を見たのであろう。

その後も長く欧米人の盆栽に対する認識はだいたいこのようなものであった。

ところが、日本で明治になって自然美盆栽が盛行し、それが第二次大戦後になって、にわかに高い評価を受けるようになった。

盆栽は欧米の上流社会に受け入れられ、自ら盆栽をつくる人も多くでてきたが、その作品は今のところ稚拙な段階といってよいだろう(図III-4)。

しかし欧米の一部では盆栽熱は予想外に強く、日本へ訪れる観光客の中には、日本で盆栽を見ることを楽しみにしている者も、かなりたくさんいる。]]></description>
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         <pubDate>Thu, 21 Apr 2011 12:38:18 +0900</pubDate>
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